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  <title type="text">プーシャン家の日常</title>
  <subtitle type="html">つぼマニア兼脉オタクと、医学史中心中国学マニアの生活感なさすぎな日々</subtitle>
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  <updated>2013-10-15T01:31:48+09:00</updated>
  <author><name>No Name Ninja</name></author>
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    <published>2026-04-05T09:30:08+09:00</published> 
    <updated>2026-04-05T09:30:08+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>その如月の　その８　3月30日のこと</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<a href="//pusyan.blog.shinobi.jp/File/20250315.jpg" target="_blank" title=""><img src="//pusyan.blog.shinobi.jp/Img/1775348819/" alt="" /><br />
</a>プーシャン家の「定点」は右手前である。定点を決めて撮り続けたら、という提案をしたのは本人なのだが、いい加減相当たってから、ホントはこっち（反対）向きで撮ったらという意味だった、と言い出した。<br />
2025年3月15日。サクラはまだ開花していない。<br />
このころ、わりに調子がよかった。履いているのは（だから）デニム。<br />
10日後には「横隔膜交通症」を発症して入院、１年と10日後にはこの世を去ろうとは、思っていない本人と撮影者。だから隠し撮りではない。<br />
<br />
さて今年3月30日、朝9時に斎場にご都合を合わせてくださった方々にお集まりいただき、9時15分に出棺となった。<br />
仙台が狭いといえばそうなのだが、「移山堂」ちかくの斎場から出発し、いっとき移山堂候補地だった建物前を通過し、専門学校生だったころ、皆さんと住んでいた通称「はちまんのやかた」を通過し、40年以上ときどき行っていたお蕎麦屋さんの前をとおり、わかかったころドライブしたことのある山道を通って、ゆかりの地をめぐるように、葛岡斎場に到着した。（青葉区民のため）<br />
<br />
一通りの儀式をすませ、ご自宅から咲いているサクラとツバキの花を持ってきてくださった方がおられたのでそれも棺におさめた。お灸より熱いと思うけど、頑張ってね、と、声をかけた。10時だったと思う。1時間かそのぐらい、と言われたが、たぶん11時15分ぐらいだったと思うが、場内アナウンスがあって、喪主がお骨と対面、その後、おいでくださった方々とお骨を拾った。本人の予想としては骨がもろくなっているから大して量はないだろうと、いつか言っていたのだが、大腿部などけっこう残って、一抱えぶんの箱にはいって、帰宅した。<br />
<br />
下の写真は、今年4月4日の、上の写真左側のサクラ。<br />
<a target="_blank" href="//pusyan.blog.shinobi.jp/File/sakura20260404.JPG" title=""><img src="//pusyan.blog.shinobi.jp/Img/1775363893/" alt="" /><br />
</a>軽く雨が降っていて、杜甫の「花は錦官城に重からん」という一句を思い出す。〔文責・きか〕<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]> 
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2026-04-04T17:02:29+09:00</published> 
    <updated>2026-04-04T17:02:29+09:00</updated> 
    <category term="近況・ごあいさつ" label="近況・ごあいさつ" />
    <title>その如月の　その７　その日の次の日のこと</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[26日の次の日のこと。いうまでもなく27日である。<br />
「その３」ですでに27日午前10時20分になっている。時間が前後するが、続く。<br />
<br />
朝5時、本人が起きることなく時間が過ぎ、カーテンの向こうが明るくなりはじめ、看護師さんがちょっとドアをあけて見に来てくれたのがわかり、そこで「もう腹膜透析の排液がちゃんとできてるかを心配しなくていいのだ」と思った。※<br />
<br />
『～止めた日』という有名になった書籍があって、わりあい早期に知って読んだのだが、奥さんの気持ち部分を差し引かないと病状がわからない、のが、不満だった。結局そういう書き方しかできないのは、どうやら今の私も同じである。<br />
<br />
※病人が亡くなると、楽になったね、と思う方がおられると聞いていたが、いくらかあるかもしれない。ただ、その時点でも私は本人の希望に沿えなかったことを申し訳なく思っていた。<br />
<br />
26日のことで思い出されるのは、16時すぎだったと思うが、ふっと真顔で「どうしたの？どうしてここにいるの？」と本人に聞かれたこと。居合わせた看護師さんも違和感を感じて、覚えておられた。そのあたりには、意識の混乱が始まっていたかもしれないと思う。<br />
<br />
さて、27日。今回、お世話になりどおしだったK絡治療学会東北支部のKさんが、朝8時過ぎからおいでくださり、葬儀についてご相談申し上げていたが、お昼過ぎには仕事に戻られた。13時15分過ぎだったと思うが、解剖を終えて帰って来た、と声をかけていただいた。<br />
<br />
主治医の話は、実はあまりよくわからない。「とりあえずの肉眼解剖の結果は以上です」が結びのことばなのは間違いがない。開口一番は「病理解剖の結果なのですが、開いてみたら、ガッチガチでした」だったと記憶する。ガッチガチとは、組織が肥厚・硬化したということかと聞き返したらそうだとのことだった。16年前に残した腹部大動脈解離が炎症を起こし、それが下行動脈を上り、自分の（人工物に置換されていない）上行動脈に至るまで硬くなっていたのだそうだ。どこかの時点で経年劣化した人工血管にヒビというかキズというかが生じ、血がしみだして血栓を作り、ガッチガチの組織にはさまれて行き場のなくなった血がそこにたまり心臓を圧迫する、というようなことだったと思う。上行動脈は、何を通そうとしても通らず、おそらく一滴の血も通らなかっただろうという狭小さであったそうだ。置換するなら、上行から下行まですべての動脈を置換しないと追いつかない、透析の時になぜここがこんな映り方をするのだろうとCTを見た場所があったが、おそらくその時点で開胸したとしてもすぐ閉じただろうという進行具合だったそうだ。横隔膜交通症は直っていたが、肺と癒着があり、そこで何らかの理由で引っ張られると血性排液となったのだろうということだった。咳がひどいと血性になるような気はしていた。病理解剖なので、その結果は数週間後に届けられるそうである。それを読まないと、これ以上詳しくはならない。ただ、炎症が起きたのはコロナ罹患と関わりがあるなら、それは4年前には進行しだしていたということにはなり、その時点なら打つ手はあったのではないかと思った。<br />
<br />
主治医に一礼すると、一緒にお身体を清めませんか、と看護師さんにお声をかけていただき、手足のみ清拭に参加した。両手の小指のツメの奥に、赤黒く血が固まったものがツメの形なりに残っており、ちょっと拭いたぐらいではとれないのだった。透析には皮膚の掻痒感がつきものである。看護師さん諸氏にそれをいうと、「まだいいほうですよ。透析すると痒いですもんね、体中にすごい傷がついている方もおられます」などと話してくださった。<br />
最初、それをいくらかでも改善しようと「ユース〇ンシソラ」を使っていて、穏やかでいいクリームなのだが、思いたって「メンソ〇ータムAD」を特に痒いところに塗りたくって（という表現となる面積に）みた。はたして、翌朝、寝坊した。つまりそれまでは痒くて起きてしまうかよく眠れなかったかしていたところ、ADが効いたらしく、その朝はぐっすり寝てしまったというわけ。この魔法は1～２週間は間違いなく効いていた、と私には見えていた。本人は&hellip;どうもそういうところ（人に何かいわれると脊髄反射的に反論する時がある）のある人だったのでこちらも何事につけても断言できないのだが、こちらから見ればいっときより症状が改善しているのに、「効かない」「どうだか」と言い出すことがあった。体質にもよると思うが、クリームは試してみる価値はあると思う。ただ、慣れのようなものは生じると私は思う。<br />
<br />
きれいに清拭して頂き、病院の霊安室で主治医と病棟師長、担当看護師の方々に見送られ、待機していただいていた霊柩車に乗って、斎場に向かった。そして、K絡治療東北支部の方々に、たくさんたくさん、お世話になった。無宗教での会として「偲ぶ会」と「お別れ会」と呼ぶことにした。読経などの時間が余ってしまうので、写真で活動を振り返るコーナーにしようということになり、写真を選ぶなどの作業をしていた。それ以後は、お忙しいなかご参集たまわった方々がごらんになったとおりである。〔文責・きか〕<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]> 
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    <published>2026-04-04T11:17:53+09:00</published> 
    <updated>2026-04-04T11:17:53+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>その如月の　その６　その５ファイルの修正</title>
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      <![CDATA[<a href="//pusyan.blog.shinobi.jp/File/9df82325.pdf" target="_blank">ダウンロード<br />
<br />
</a>「その５」のファイルを修正・加筆しました。〔文責・きか〕]]> 
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2026-04-03T09:53:06+09:00</published> 
    <updated>2026-04-03T09:53:06+09:00</updated> 
    <category term="近況・ごあいさつ" label="近況・ごあいさつ" />
    <title>その如月の　その５　2010年から</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<a href="//pusyan.blog.shinobi.jp/File/6fbfb709.pdf" target="_blank">ダウンロード<br />
<br />
</a>浦山久嗣の2010年からの体調を簡単にまとめました。そのうちもう少し詳細になります。<br />
23日に本人が関係諸氏に送ってくれと言った、家族が作成した「経緯」のまとめに少し修正を加えています。<br />
<br />
【蛇足】<br />
　すいちゃんのプラネタリウムという歌がいい、と言っていたのを思い出し、ここ数日何度か聞いた。どう聞いていたのかわからなかったのだが、すいちゃんが自分に歌いかけ話しかけていると考えていたのかな、と思うようになった。わりに素直な聞き方だったのではないか、と。<br />
　腹膜透析は、2時間ごとに排液があり、それがうまくいかないことがある。カテーテルを踏むというか、つぶすような体位で寝てしまうと、警報音が鳴るか、排液をしないうちに加えて再注液してしまうかどちらかなのだ。前者は単純にウルサイ。後者は「横隔膜交通症」を発症した身として、過剰な腹圧を想定してしまい、恐怖しかない。いきおい眠りは浅くなり、深い孤独の中にあって「ちっこい失敗」や大きな不安をひとり反芻することになる、そういう毎夜だったに違いないのだ。朝になると「ちゃんと眠れたらおはようしようね」、とりあえず生きていた、とほっとしたかも知れない。それ以外の感情もあったはずだし、そのもろもろに、「プラネタリウム」という歌が寄り添ってくれるところが大きかったのだろうと思う。〔文責・きか〕]]> 
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    <published>2026-04-02T10:21:22+09:00</published> 
    <updated>2026-04-02T10:21:22+09:00</updated> 
    <category term="近況・ごあいさつ" label="近況・ごあいさつ" />
    <title>その如月の　その４　喪主ご挨拶</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<a href="//pusyan.blog.shinobi.jp/File/a184c672.pdf" target="_blank">ダウンロード<br />
<br />
</a>3月28日「偲ぶ会」、29日「お別れ会」での喪主あいさつをアップロードしています。<br />
ほぼ両日同じ話をしましたのですが、書いていないのは「ロックスター」と「プラネタリウム」です。「お別れ会」の時にのみ話したものと記憶しております。〔文責・きか〕<br />
<a target="_blank" href="//pusyan.blog.shinobi.jp/File/20110619zennichi.JPG" title=""><img src="//pusyan.blog.shinobi.jp/Img/1774954518/" alt="" /></a>]]> 
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    <published>2026-04-01T18:29:16+09:00</published> 
    <updated>2026-04-01T18:29:16+09:00</updated> 
    <category term="近況・ごあいさつ" label="近況・ごあいさつ" />
    <title>その如月の　その３　その日のこと</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[3月10日の入院は、今年2度目の入院だった。いったん退院して、DongBei大学病院に転院し、手術をうける、と当初は言われていた。だが、入院中にどう見ても体調が悪化してゆく。輸血も点滴も思ったような効果を生むどころか、身体を痛めつけているとしか見えなかった。<br />
まだ面会を許可していない病院なので、だいたい2日に1回着替えや差し入れをしにゆき、午前7時と午後8時ぐらいには電話で定時連絡を入れる、というのが日課で2週間が経過してゆく。転院はついに訪れず。このあたりは、あとから書き込むかもしれない。<br />
<br />
23日から、面会が許された。その日は別室に移動して、30分ほどで、時間です、と言われた。咳はしていたが、わりにまだ元気そうで、話も普通にできた。次の日もその次の日も、転院待ちという名目で面会したが、いつまでいても何も言われなかった。両日ともに2時間は、いた。足を揉んだり、温熱ペンであちこち刺激したりしていた。電話を本人にくださる方もおられた。<br />
25日、もう家を出ようという時に、来る（来院）ときに乾燥してしかたがないから、スース―するようなリップクリームを買ってきて、と言った。来てからでもいいから、という。来てからとは？院内のコンビニでってこと？あるかもしれないがとりあえず薬局に寄ってから行こうと、仙台駅の薬局で2種類、調達した。ミントのほうを選んでつけた。それを見て、看護師さんが買ってきてもらったのね、と言った。<br />
<br />
その日、26日、朝5時36分だったかに本人から電話が来た。透析が終わって暇だから、という。こんなことはそれまでなかった。ここで話したわけだからと定時連絡をしないでおいたが、8時過ぎにまた、定時連絡がないから、と、本人から電話が来た。<br />
<br />
地下鉄からバスに乗り換えて12時40分すぎ、どうやら本人から電話があったらしい。バスで寝落ちしていたのでそれを取り損ねた。その直後の47分、病院からかかってきた電話は気づいてとり、DongBei大学病院の心外の医師が午後4時ごろ往診してくれるということだった。折り返し、本人に電話すると、呼吸がつらそうだった。<br />
<br />
院内コンビニの裏にある飲食スペースで昼ごはんにおむすびを一つ食べ、病室にむかうと、すでに呼吸は咆哮のレベルになっていた。酸素は5リットルで、水音がしていた。火気厳禁だから温熱ペンはだめだよ、という。足を揉むのもつかれるからいい、という。冷たい足を暖めるように手で覆うことしかできなかった。私の目の前で、酸素は6リットル、7リットルへと上げられていった。呼吸するだけで苦しいので、寝返りをうち、手足を動かすようになった。本人に、これ、ゼンメイでいいの？と聞くと、いいと思う、ゼンメイ、と言った。<br />
<br />
心外の医師がおいでになったのは17時をすぎていたと思う。ネームプレートを指して名乗ってくださり、聴診器は胸に当てたが、こちらに対しては何もなく、主治医にむかって「だってもう身のおきどころのない状態になってるでしょ」と（聞こえていたら）患者にも、聞こえている患者の家族にもあまり配慮があるとは言えない言い方をした。書いてやるぞと思った。そのとき思った書いてやる場はここでは、ないが、ここにも書いた。<br />
<br />
「偲ぶ会」「お別れ会」で少し時間を間違えて話した。おそらく17時25分すぎ、主治医から、もう打つ手はモルヒネだけだという説明を受けた。開胸はできないし、してもすぐ閉じるしかないし、体力のなさから転院中の救急車の中で命を落とすかもしれないともいう。わかりました、と病室に戻った。ことここに至っても、私は、本人が治ると信じているのだから、無理を言って転院・手術してほしいとゴネることを考えていた。<br />
<br />
看護師さんに、友人諸氏を呼ぶなら明日かと言いかけたら、「今日。今晩。今すぐ」、そこで葬儀に関わってくださった皆様にお声をかけることになる。17時47分に友人にあてたメールが残っているからその前後だ。いまは酸素濃度が濃くて、自前のモルヒネになっているから、もう少しこのままで、と、看護師さんがいう。その時は静かに寝ていたのだ。いま思えば、臨終にむけて、看護師さん諸氏は明確にシフトして動いていた。ただ、明日もあるかのように、腹膜透析の準備として、普段通りにエクストラニールとレギュニールがセットされた。エクストラニールをやめると体重が1キロずつ増えるようになったので、最初は使っていなかったがここ2日ほどまたやっている、ということだった。<br />
<br />
こういうことを書きながら、本人に確認がとれないのだなあと思う。読んで聞かせて、修正をうけることができない。もう電話をかけても、すぐそこで携帯が鳴るだけなのだものな。<br />
<br />
18時すぎ、学科長が到着し、話をしたが、声はでなかった。だが、はっきりわかっていた。続いて入れ替わりに友人諸氏がおいでになった。18時45分ごろか。皆さんの顔を見ると、少し意識がはっきりする。そのあと、再び苦しくなりはじめ、ときどき寝返りをうち、手足を動かすようになった。皆さんが何時でお帰りになったかの記録はない。だが、ずっと相談にのっていていただいたTさんに「とうぶん何事も対応がおくれると皆さんに伝えて」とメールをしているのが20時45分だから、そこでは皆さんもお帰りになっていたのだろう。この期に及んでも、私はまだ本人の希望通り、転院・手術とゴネることも捨てきれていないのだった。酸素は8リットルとなっていた。目が閉じないのだが、何も見えていないのだと思った。<br />
<br />
何くれとなく、こまめにおいでくださって世話をしてくださる看護師さんに、モルヒネのことを聞くと、そんなに強い濃度ではないから、打ったらすぐというわけでもないんです、本人の体力次第で、でも&hellip;&hellip;準備だけしておきましょうか、とおっしゃったので、お願いします、と言った。どう聞けばいいかわからないので、看護師さんに本人に聞いてほしいと言った。「苦しいよね、浦山さん、お薬使うと息が楽になるけど、いい？」、本人が小さくうなずいた。<br />
無念だった。実際の投与に入ったのは21時25分、ごめんね、希望をかなえてあげられなくてごめんね、手術はできないよ、何度も繰り返した。看護師さんは、頑張りましたよ、とても、と言った。<br />
<br />
じっとつきそっていると、苦しかった日中に120を超えることもあった心拍数が、徐々に下がってきているのがわかった。2けたになり、80になり&hellip;、ごめんね、とくり返しながら、これがモルヒネの効き目なのだとわかった。それが40台になったころ、看護師さん諸氏が枕頭につめてくださった。浦山さん、頑張ったね、と、口々にお声をかけてくださった。その波形がフラットになったのは22時40分、医師が到着し、確認したのが47分で、公称としては47分がその時刻となる。皆さんにメールを入れた。<br />
<br />
23時すぎ、最後の腹膜透析液とかぐやの画面を撮った。毎日、撮っていたのだから。<br />
<br />
冷房を入れますから、別室一つ用意したので、そちらでお休みになってもいいですよ、それと患者さんの入る時間帯ではないからシャワーでも、と言われたので、そこでシャワーをあび、これも看護師さんがしつらえてくださった簡易ベッドに布団を2枚かぶって、本人のとなりで一晩を過ごした。寒いところに一晩中いる人はあんまりいない、廊下に出るだけでも暖かいですよ、と翌朝いわれた。一晩中私は、ごめんね、手術できなくてごめんね、何もできなくてごめんね、と話しかけていたのだと思う。<br />
<br />
ふと、本人が献体を希望していたことを思い出し、看護師さんに聞いてみたところ、主治医に伝わったらしく、顔を出してくださり、白菊会に入っていなければたぶん受け付けられないので、病理解剖はどうですか、と奨められた。ここでも、本人の希望どおりにゆかないので迷っていた。Tさんに病理解剖はどうだろう、とメールを送った。明け方、最後まで医学に寄与するつもりならいいと思う、ただ家族たるあなたが納得するのが大事、とメールが戻ってきた。病理解剖だと、2時間ほどですぐ帰れるのと、詳細なレポートがつき記録が残るというので、病理解剖と決め、7時前には葬儀社に連絡をした。病理解剖の施設は、この病院にあるが、医師が非常勤なので、出番かどうか、朝8時半になるとわからないという。もし出番でないか、断られるかしたら、DongBei大学病院で病理解剖するという。正直なところ、智恵子抄の「あんなに帰りたがっている自分の内へ／智恵子は死んでかへって来た」のように「あんなに転院してよくなるんだと思っていた大学病院に&hellip;」は悪いジョークのようで、せめてこの病院で解剖されてくれないかと思った。そして、それは果たされた。10時20分、本人の身体は病理解剖に出むいた。その時点で、今回お世話になりどおしだったK絡治療東北支部長のKさんと、葬儀屋さんとで、相談をしていた、と思う。〔文責・きか〕<br />
<br />
※4月3日にレシートを確認していて記憶の誤りが判明したため、リップクリームのくだりは前日に移しています。<br />
<br />
<br />
<br />
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    <published>2026-04-01T17:29:47+09:00</published> 
    <updated>2026-04-01T17:29:47+09:00</updated> 
    <category term="近況・ごあいさつ" label="近況・ごあいさつ" />
    <title>その如月の　その２　定点あたり</title>
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      <![CDATA[<a href="//pusyan.blog.shinobi.jp/File/teiten20260401.JPG" target="_blank" title=""><img src="//pusyan.blog.shinobi.jp/Img/1775030945/" alt="" /><br />
</a>2026年4月1日、定点あたり。<br />
定点は左手奥。<br />
やっとサクラが咲き始めた。そろそろ定点あたりにおとなう人が増えてきた。<br />
<br />
この「その如月の」一連のBGMとしては、the way we wereか、without you かというところだが、後者はいくら元気印のマライアの歌唱で聞いても、その世界に引き込まれそうでマズイかもしれないと思った。「I can't live without you きみなしで生きていたってしかたがない」、私の訳だとそうなるが、歌を聞いて内容的に今は避けるべきだと思ったのは初めてだ。こういうのをわざわざ書くとかまってちゃんみたいだな。するとバーブラ・ストライザンド一択か。この歌は本人も好きだったし。<br />
まあ、本人は「お別れ会」でご紹介したとおり、Adoさんの「ロックスター」か、星街すいせいさんの「プラネタリウム」をBGMとしたいところだろう。<br />
<br />
下は、2022年3月27日の定点あたり。4年前ということになる。<br />
<a target="_blank" href="//pusyan.blog.shinobi.jp/File/teitenfufujin20220327.JPG" title=""><img src="//pusyan.blog.shinobi.jp/Img/1775031998/" alt="" /></a> <br />
遠くの黒い幹がこのサクラで、右手が定点。左手前は昨年刈られてしまったナツメ。<br />
サクラの木の下に、最初は陶器のテーブル1つと椅子が3つあったのだが、このころは2つになっていたと思う。木の陰にforever21の上っ張りを着て、座っている人がいる。本人に気づかれないように撮っていた、隠し撮りだ。撮っていたら気にすると思った。貧血が進行していた。一番町からここまで5回休まないとたどり着けない体調。ひそかな覚悟がその時の私にはあった。「その時」あった覚悟は、透析に移行するところで、原因の少なくとも一つが取り除かれたのと、透析に慣れるのとで、いっとき意識に上りにくくなったのだと思う。<br />
<a target="_blank" href="//pusyan.blog.shinobi.jp/File/20220407.JPG" title=""><img src="//pusyan.blog.shinobi.jp/Img/1775032396/" alt="" /></a> <br />
10日ほどあとの2022年4月7日、やはり隠し撮り。この日、2010年に大動脈解離を手術してくれた仙台open病院を辞し、今後は貧血の原因探しに他の病院をあたることに決まった。病院に行った後でもこんなふうに散歩できるとは、今から思えばまだ体力があったのだろう。このとき、異変に正しく対処できていれば、命は続いたのだろうか。〔文責・きか〕<br />
<br />
【追記】記録をとっていたのかと問われる方がおられたが、とっていない。本人は、私と出会ったころ「サヴァンか自分の知る中でもっともサヴァンに近い人」と思っていたと言っていた。今は相当忘れるようになっているとは思う。私の感覚では「自分なりの意味づけ」をする（できる）ようになると、詳細な記憶は減衰する。]]> 
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2026-03-31T19:57:41+09:00</published> 
    <updated>2026-03-31T19:57:41+09:00</updated> 
    <category term="近況・ごあいさつ" label="近況・ごあいさつ" />
    <title>その如月の　その１　メモのこと</title>
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      <![CDATA[<a href="//pusyan.blog.shinobi.jp/File/20110619zennichi.JPG" target="_blank" title=""><img src="//pusyan.blog.shinobi.jp/Img/1774954518/" alt="" /><br />
</a>一気に書いたと思われるが誤字はない。<br />
日付は2011年6月19日、東京宣言の日。<br />
本人の大動脈解離（2010年4月）から1年余、<br />
東日本大震災から3ヵ月余。]]> 
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2026-03-31T19:18:40+09:00</published> 
    <updated>2026-03-31T19:18:40+09:00</updated> 
    <category term="きぼうが通過" label="きぼうが通過" />
    <title>3月中旬～下旬は17回中7回</title>
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      <![CDATA[3月中旬から下旬。すべて夕刻、3月10日から18日、少しあいだがあいて24日～31日。10回中7回と8回中0回。前者はダブルヘッダーあり。後者は見えた場合があったかもしれないが、それどころではなかった&hellip;いや、見える時間だなと忘れることはなかったが見に出られなかった。〔文責・きか〕]]> 
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2026-03-14T18:54:42+09:00</published> 
    <updated>2026-03-14T18:54:42+09:00</updated> 
    <category term="きぼうが通過" label="きぼうが通過" />
    <title>2月下旬から3月上旬は13回中2回</title>
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      <![CDATA[2月下旬、26日から28日、3月は1日から9日まで。13回中2回。早朝で、冬季オリンピックもあり、比較的起きられたのだが、雲やもやが多かったのでこの成績。10日から夕刻。〔文責・きか〕]]> 
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            <name>No Name Ninja</name>
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