プーシャン家の日常

つぼマニア兼脉オタクと、医学史中心中国学マニアの生活感なさすぎな日々

その如月の その8 3月30日のこと

2026.04.05 09:30:08


プーシャン家の「定点」は右手前である。定点を決めて撮り続けたら、という提案をしたのは本人なのだが、いい加減相当たってから、ホントはこっち(反対)向きで撮ったらという意味だった、と言い出した。
2025年3月15日。サクラはまだ開花していない。
このころ、わりに調子がよかった。履いているのは(だから)デニム。
10日後には「横隔膜交通症」を発症して入院、1年と10日後にはこの世を去ろうとは、思っていない本人と撮影者。だから隠し撮りではない。

さて今年3月30日、朝9時に斎場にご都合を合わせてくださった方々にお集まりいただき、9時15分に出棺となった。
仙台が狭いといえばそうなのだが、「移山堂」ちかくの斎場から出発し、いっとき移山堂候補地だった建物前を通過し、専門学校生だったころ、皆さんと住んでいた通称「はちまんのやかた」を通過し、40年以上ときどき行っていたお蕎麦屋さんの前をとおり、わかかったころドライブしたことのある山道を通って、ゆかりの地をめぐるように、葛岡斎場に到着した。(青葉区民のため)

一通りの儀式をすませ、ご自宅から咲いているサクラとツバキの花を持ってきてくださった方がおられたのでそれも棺におさめた。お灸より熱いと思うけど、頑張ってね、と、声をかけた。10時だったと思う。1時間かそのぐらい、と言われたが、たぶん11時15分ぐらいだったと思うが、場内アナウンスがあって、喪主がお骨と対面、その後、おいでくださった方々とお骨を拾った。本人の予想としては骨がもろくなっているから大して量はないだろうと、いつか言っていたのだが、大腿部などけっこう残って、一抱えぶんの箱にはいって、帰宅した。

下の写真は、今年4月4日の、上の写真左側のサクラ。

軽く雨が降っていて、杜甫の「花は錦官城に重からん」という一句を思い出す。〔文責・きか〕






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その如月の その7 その日の次の日のこと

2026.04.04 17:02:29

26日の次の日のこと。いうまでもなく27日である。
「その3」ですでに27日午前10時20分になっている。時間が前後するが、続く。

朝5時、本人が起きることなく時間が過ぎ、カーテンの向こうが明るくなりはじめ、看護師さんがちょっとドアをあけて見に来てくれたのがわかり、そこで「もう腹膜透析の排液がちゃんとできてるかを心配しなくていいのだ」と思った。※

『~止めた日』という有名になった書籍があって、わりあい早期に知って読んだのだが、奥さんの気持ち部分を差し引かないと病状がわからない、のが、不満だった。結局そういう書き方しかできないのは、どうやら今の私も同じである。

※病人が亡くなると、楽になったね、と思う方がおられると聞いていたが、いくらかあるかもしれない。ただ、その時点でも私は本人の希望に沿えなかったことを申し訳なく思っていた。

26日のことで思い出されるのは、16時すぎだったと思うが、ふっと真顔で「どうしたの?どうしてここにいるの?」と本人に聞かれたこと。居合わせた看護師さんも違和感を感じて、覚えておられた。そのあたりには、意識の混乱が始まっていたかもしれないと思う。

さて、27日。今回、お世話になりどおしだったK絡治療学会東北支部のKさんが、朝8時過ぎからおいでくださり、葬儀についてご相談申し上げていたが、お昼過ぎには仕事に戻られた。13時15分過ぎだったと思うが、解剖を終えて帰って来た、と声をかけていただいた。

主治医の話は、実はあまりよくわからない。「とりあえずの肉眼解剖の結果は以上です」が結びのことばなのは間違いがない。開口一番は「病理解剖の結果なのですが、開いてみたら、ガッチガチでした」だったと記憶する。ガッチガチとは、組織が肥厚・硬化したということかと聞き返したらそうだとのことだった。16年前に残した腹部大動脈解離が炎症を起こし、それが下行動脈を上り、自分の(人工物に置換されていない)上行動脈に至るまで硬くなっていたのだそうだ。どこかの時点で経年劣化した人工血管にヒビというかキズというかが生じ、血がしみだして血栓を作り、ガッチガチの組織にはさまれて行き場のなくなった血がそこにたまり心臓を圧迫する、というようなことだったと思う。上行動脈は、何を通そうとしても通らず、おそらく一滴の血も通らなかっただろうという狭小さであったそうだ。置換するなら、上行から下行まですべての動脈を置換しないと追いつかない、透析の時になぜここがこんな映り方をするのだろうとCTを見た場所があったが、おそらくその時点で開胸したとしてもすぐ閉じただろうという進行具合だったそうだ。横隔膜交通症は直っていたが、肺と癒着があり、そこで何らかの理由で引っ張られると血性排液となったのだろうということだった。咳がひどいと血性になるような気はしていた。病理解剖なので、その結果は数週間後に届けられるそうである。それを読まないと、これ以上詳しくはならない。ただ、炎症が起きたのはコロナ罹患と関わりがあるなら、それは4年前には進行しだしていたということにはなり、その時点なら打つ手はあったのではないかと思った。

主治医に一礼すると、一緒にお身体を清めませんか、と看護師さんにお声をかけていただき、手足のみ清拭に参加した。両手の小指のツメの奥に、赤黒く血が固まったものがツメの形なりに残っており、ちょっと拭いたぐらいではとれないのだった。透析には皮膚の掻痒感がつきものである。看護師さん諸氏にそれをいうと、「まだいいほうですよ。透析すると痒いですもんね、体中にすごい傷がついている方もおられます」などと話してくださった。
最初、それをいくらかでも改善しようと「ユース〇ンシソラ」を使っていて、穏やかでいいクリームなのだが、思いたって「メンソ〇ータムAD」を特に痒いところに塗りたくって(という表現となる面積に)みた。はたして、翌朝、寝坊した。つまりそれまでは痒くて起きてしまうかよく眠れなかったかしていたところ、ADが効いたらしく、その朝はぐっすり寝てしまったというわけ。この魔法は1~2週間は間違いなく効いていた、と私には見えていた。本人は…どうもそういうところ(人に何かいわれると脊髄反射的に反論する時がある)のある人だったのでこちらも何事につけても断言できないのだが、こちらから見ればいっときより症状が改善しているのに、「効かない」「どうだか」と言い出すことがあった。体質にもよると思うが、クリームは試してみる価値はあると思う。ただ、慣れのようなものは生じると私は思う。

きれいに清拭して頂き、病院の霊安室で主治医と病棟師長、担当看護師の方々に見送られ、待機していただいていた霊柩車に乗って、斎場に向かった。そして、K絡治療東北支部の方々に、たくさんたくさん、お世話になった。無宗教での会として「偲ぶ会」と「お別れ会」と呼ぶことにした。読経などの時間が余ってしまうので、写真で活動を振り返るコーナーにしようということになり、写真を選ぶなどの作業をしていた。それ以後は、お忙しいなかご参集たまわった方々がごらんになったとおりである。〔文責・きか〕




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その如月の その6 その5ファイルの修正

2026.04.04 11:17:53

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「その5」のファイルを修正・加筆しました。〔文責・きか〕

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その如月の その5 2010年から

2026.04.03 09:53:06

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浦山久嗣の2010年からの体調を簡単にまとめました。そのうちもう少し詳細になります。
23日に本人が関係諸氏に送ってくれと言った、家族が作成した「経緯」のまとめに少し修正を加えています。

【蛇足】
 すいちゃんのプラネタリウムという歌がいい、と言っていたのを思い出し、ここ数日何度か聞いた。どう聞いていたのかわからなかったのだが、すいちゃんが自分に歌いかけ話しかけていると考えていたのかな、と思うようになった。わりに素直な聞き方だったのではないか、と。
 腹膜透析は、2時間ごとに排液があり、それがうまくいかないことがある。カテーテルを踏むというか、つぶすような体位で寝てしまうと、警報音が鳴るか、排液をしないうちに加えて再注液してしまうかどちらかなのだ。前者は単純にウルサイ。後者は「横隔膜交通症」を発症した身として、過剰な腹圧を想定してしまい、恐怖しかない。いきおい眠りは浅くなり、深い孤独の中にあって「ちっこい失敗」や大きな不安をひとり反芻することになる、そういう毎夜だったに違いないのだ。朝になると「ちゃんと眠れたらおはようしようね」、とりあえず生きていた、とほっとしたかも知れない。それ以外の感情もあったはずだし、そのもろもろに、「プラネタリウム」という歌が寄り添ってくれるところが大きかったのだろうと思う。〔文責・きか〕

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その如月の その4 喪主ご挨拶

2026.04.02 10:21:22

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3月28日「偲ぶ会」、29日「お別れ会」での喪主あいさつをアップロードしています。
ほぼ両日同じ話をしましたのですが、書いていないのは「ロックスター」と「プラネタリウム」です。「お別れ会」の時にのみ話したものと記憶しております。〔文責・きか〕

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