プーシャン家の日常

つぼマニア兼脉オタクと、医学史中心中国学マニアの生活感なさすぎな日々

メタセコイア

2022.05.02 08:55:36


メタセコイアの実が一面に散り敷く東北大学片平北門付近。4月16日。雨の翌日。

そういえば以前もこんなことが。20年4月19日。大風の翌日。

新しい一年を始めるには、昨年の実や葉は落とさないといけない、ということかもしれません。

そこからの、連想。「二月の花」でなく「霜葉」になって思うこと。

子供の頃、午睡から覚めた直後、家の中でも別の場所のように見えて不安になることがありました。家族のだれかを見つけるまで、半泣きで探すこともありました。
認知症の(当事者側からの見方の)本を読んでいて、それを思い出しました。
いつもと違う(と感じる)場所にいると感じて、不安で泣きながら探して、ひとがいても、それが家族と認識できなかったら?
そりゃ怖いわな、と思うのです。

何らかの理由で、普段記号化して格納したりスルーしたり処理したりしているものの記号化ができず(できるまで)右往左往することは、二月の花でもあるのかもしれません。ただ、右往左往でエネルギーを使った分だけできるようにな(って定着す)るとは限らず、労力との等価交換がうまくいかなくなるのが(言い換えれば、こんなに払ってこんだけ?とか、え~初めからまた?とかになるのが)年齢ということかとも思います。〔文責・きか〕







テーマ:老いと終活/ コメント(0)/

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