プーシャン家の日常

つぼマニア兼脉オタクと、医学史中心中国学マニアの生活感なさすぎな日々

片づかない漫画のはなし

2022.05.14 16:50:43


昨年6月16日、「刈られました」定点付近。カラスが二羽います。次に「刈られました」10月にもよく似た写真がありました。

今日、この季節カラスは子育て中で気がたっているので注意、と、何かで読みました。

プーシャン家は、3月の地震で、これは本気で書籍を減らさないと命の危険があると判断しました。
そもそも毎日のように、積んだ書籍で足の指をひっかけたりスネにキズをつけたりしているのでは(仕事にならないわけではないが)日常生活に支障があると言わざるを得ません。

漫画はある程度処分です。
見返すと、多分に今の気分によるのでしょうが、意外なものが要らないと思ったり、逆に手放せないと思ったりします。
こんな一節のある漫画は残すことにします。

「―滋さんは
ちゃんとご飯
食べたかしら
今日はひとりで
食べるのかしら
―だめね 私
ずいぶんと
さみしがりやに
なったみたい
昔はもっと
辛いことも
苦いこともあったのに
幸せがこんなにも
静かに
静かに
二人の上に降りつもって
不思議ね
滋さん
さみしくて
早く会いたいわ
―ああ 
いつか
あの人を失う日がきたら
私は生きていけるかしら
いつか
私を失っても
あの人は
生きて
いけるかしら
―ああ
早く
あの人の隣へ
帰りたいわ」(緑川ゆき『夏目友人帳』15巻、初版2013年1月、「特別編・塔子と滋」より)

この記事の写真がカラスなのはこの編にちなみます。

私ならば、そこでページをめくるので、最後だけ「あなたの隣へ」にしかねません。そこだけ、二人称。
ただ、二人称としては「滋さん」が出てきており、塔子さんは、二人称としては「滋さん」なので、「あなた」は「ない」のです。「滋さんの隣へ」ではダメなので、これがベストなのでしょう。
呼びかけとしての「滋さん」と、塔子さんの心の中で描写されている時の「あの人」。

この漫画は、最初こそ『百鬼夜行抄』のエピゴーネンなような気がしていましたが、「主人公のビルトゥングスロマン」の要素があり、またそれだけでは片づけられない何かがあって、たぶん処分できないと思ったことです。〔文責・きか〕






テーマ:老いと終活/ コメント(0)/

この記事にコメントする

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード

ページの先頭へ▲