ばんて部の長い2か月 その1
4月15日16時58分。この時点では、この虹が吉兆なのか凶兆なのか、判断がつかなかった。ただし、その夜、ばんて部員(私)は、タクシーの来ない夜道を、少しでも早く目的地に着きたくて、走った。走りながら、凶兆だったと思った。
3月23日日曜午前、ばんて部員(透析本人)の腹膜透析のカテーテルが横隔膜を突き破って穴をあけ、(のちにわかったところでは2か所。確率としては1%しか起こらない)
透析液が胸腔に流れ込んで呼吸困難となり、病院に電話、SPO2は90を下回っていた。「横隔膜交通症」と診断されてそのまま、入院。
もともと、排液がうまくいかなくなる傾向はあった。カテーテルはいい位置につけているらしいのだが、何せそこには腸がある。注液がうまくできない、と、ばんて部コールセンターに電話した間に注液が再開したのだが、それは横隔膜に穴があいたためだと推測される。
横隔膜の穴をふさぐ手術が企図されたわけだが、外科の予定が立て込んでいるとのことで、入院したまま時間が経過。手術の日程は15日火曜に決定し、3日から10日まで一週間帰宅。
当初の予定では、カテーテルの位置をもどし、固定する手術も企図されていたが、なぜか再び透視してみたところカテーテルは本来の位置に戻っていたそうで、これもレアだそうだ。
その間、腹膜で透析するわけにはいかないので頸部より血液透析を2度実施。
その間、腹膜で透析するわけにはいかないので頸部より血液透析を2度実施。
15日火曜に手術、染色して内視鏡手術。
虹を見たのはその手術後である。
その夜。
虹を見たのはその手術後である。
その夜。
横隔膜の穴をふさいだはいいが、術後、数時間で大量出血が起こり、
入院していた病院からDBDX(ピンインのアタマ4文字)病院へ救急搬送、
内視鏡にて胸腔内の疑わしい血管を「栓」でふさぐ手術を敢行。
その「栓」が可能なのが搬送先の病院であった。
これから救急搬送します、と電話を受け、部員は走った。一本道を東へと走ってくるはずの救急車より、早く着いた。
若い医師に説明を受け、手術。
これから救急搬送します、と電話を受け、部員は走った。一本道を東へと走ってくるはずの救急車より、早く着いた。
若い医師に説明を受け、手術。
ただし、「疑わしい」血管を2か所ふさいだのみで、犯人はここだと断定するには至らず、ICUに何日か留め置きになるというのが当初の見込みだった。少しICUで話ができた。
翌日、もとの病院にもどされた。DX病院でないとできないことはすべてやったということだそうだ。
翌日、もとの病院にもどされた。DX病院でないとできないことはすべてやったということだそうだ。
しごとのあと、もとの病院に行って所用をすませた。いったん外科に転科。
その日は荒天というか、桜にとつぜん降りかかる雪。うまく写ってはいないが旭ヶ丘駅にて。
ただ、出血はなかなか止まらなかった。これは胸腔内ではなく体表の血管の損傷だろうと推察され、胸帯による圧迫が始められた。ベッドに固定された状態であったという。
その日は荒天というか、桜にとつぜん降りかかる雪。うまく写ってはいないが旭ヶ丘駅にて。
ただ、出血はなかなか止まらなかった。これは胸腔内ではなく体表の血管の損傷だろうと推察され、胸帯による圧迫が始められた。ベッドに固定された状態であったという。
おそらくこれが功を奏し、容態は安定。
20日より輸血をやめ、21日より胸腔内にたまった血を少しずつ抜きはじめる。部員(本人)のたっての希望により、20日は、部員(私)は予定通りの所用で上京している。
その後は、これまで作業のため身体にあけた穴をふさぎ、ドレーンを除去し、再び腹膜透析が可能なのかどうか、見極めの時期に入った。
だが、その後も一筋縄ではいかなかったのだ。〔文責・きか〕
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