プーシャン家の日常

つぼマニア兼脉オタクと、医学史中心中国学マニアの生活感なさすぎな日々

雪と地震と虹の師走

2025.12.16 18:04:05


12月14日日曜、雪。朝6時24分ごろの東北大学正門。
平日よりは朝の車通りが少ないので、映り込んでいない。

12月8日、青森県東方沖の最大震度6強の地震。
23時台にくる地震は大きくなることが多い気がする。気のせいかもしれないが。
12日金曜、午前11時44分に最大震度4の地震。授業中はやめてほしい。
下は15日朝8時19分ごろの虹。位置からいって、たぶん広瀬川に両端をひたしている。

 さて、12月16日、今年最後の、私の定義での「掃除」をした。気分は「年末大掃除」である。やはり、7時間かかった。お正月様をお迎えしやすいようにあちこちちょっと整える。ベッドカバーはクリスマス仕様ときめているちょっとにぎやかな柄のそれにとりあえず、変える。今後も細かいところはまいにちどこか吸ったり拭いたりすることになるが、これはルーティンの「ほこりとり」で、「掃除」には(私は)含めない。

 当初は16日一日じゅう曇りの予報だったが、有難いことに晴れ間がひろがる時間が長かった。
 自分の机回りにとりかかってほどなくの11時45分に、宮城県沖を震源とした地震があった。
揺れる前に、一天にわかにかきくもった(というほど急ではないが)ので、ぱらりとでも雨がふるのかと思い、干していた布団を取り込んだり、大きな(再度濡れるとやっかいそうな)洗濯物を移動したりした。それぐらいの時間はあったということで、その後の地震。これが大きくなって、ここで中断だとイタイなあ、大きくならないといいなあ、と念じた。最大震度3、プーシャン家は2ぐらいだったと思う。ほっとして続行。

 地震がおさまって、再びまたからりと晴れた空がひろがった。もういちど、乾き足りないものを干し直しながら、たぶんこの地震はやんだと判断した。

……こういう語彙を使っての言い方になってしまうが、地震は「陰(気)」のしわざなのだと思う。東日本大震災のとき、そう思った。低い雲におおわれていた日で、地震のあとに雪がふった。
 うまく言えないが、地震の予兆として、雲がどうとかいう話になる。ないとは断言できないが、予兆というより、むしろ直前は頭から押さえつけられるような低い一面の雲がひろがり、雲も気も何も読めない、ことが多い気がする。そして「(地震が)あった(後の)雲」は、ある、と思う。

 こうして過ぎていった師走。発表をさせて頂いたり、が、1か月余りで3回はやはり「緊張」だった気がする。これまでやったことをまとめたことも多かったので、純粋な新ネタは少なかったが。そういえば今年の下半期について「結局はこつこつやることですよそこのあなた」と、とある占いに書いてあったなあと思う。〔文責・きか〕













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イチョウの降るころ

2025.11.25 14:11:04


いちばん黄色の燃える時期を過ぎ、風にイチョウの葉が散るころになった。

今年の写真を撮る方は昨年よりちょっと少な目。

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イチイ

2025.11.03 17:37:19


東北大学正門左手の「イチイ」、今年はたくさん実がなった。
現住所に引っ越して16年、気が付くと木もずいぶんと背が伸びている。
目の前にあった実が、いまは手を伸ばして取る感じなので、一年で4㎝ずつ、というところか。


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時はめぐりまた秋が来て

2025.11.03 17:26:37


11月2日、片平の樹齢200年を超えたイチョウ。だんだん黄葉がすすむと、写真におさめようという方々でにぎわい始める。いま少し、静かな時間だ。
仙台市内でも、秋のくる時期がちがうようで、下は10月22日の小松島。このころ片平は同じ種類の木の葉がまだ緑だった。

3日、午後3時ごろ、定点付近で地面にぼ~っと立っている鳥を見かけた。
あの、目のあたりの黒い、冬にみかける鳥である。まさか、と思ったがすぐ飛び去ってしまった。
あわててリアルタイム検索する。
すると、「宮城県民の森」に、数時間前(12時45分)「ツグミ、入りました~」というツィートが。本当にそうだったかも!
昨年は冬鳥が少なすぎてさびしかったが、今年は早いらしいという地方はわからないがどなたかのツィートも見つけた。季節はめぐり、また秋が来て、そして冬へ。





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初秋の空気と掃除とコーヒー

2025.09.20 10:26:41


9月19日。この週はじめの晴れ間を見て、掃除をしたので、気分がいくぶん晴れやかである。
くだんの「危険木の伐採」後で、ドングリの生る木とかセンダンとか、刈られた後、量は多くないが、ヒガンバナが咲いた。こうして撮ってみると、やっと日差しが初秋である。

9月15日か16日の朝、洗い物をして少し出し続けていたら、水道水が途中から冷たくなった、と感じた。例年は、これが10日から2週間前の9月初めか早ければ8月末に起こる。やっと秋である。

些細なことが気になる、という括りなのだろうが。
「掃除」の定義は、私的にはほぼ一日かかるレベルを指す。復旧だけで、2時間かかる。体調がものすごく関与していて、体力があると、全行程で7時間以内に収まる。いま、指折り数えて7時間とわかった時にはぎょっとした。最初に「ほぼ一日かかる」と書いたので、わかっているわけだ。わかっているのに、長くてぎょっとした。
いわゆるコロコロとか、ハンディタイプ掃除機とか、普通の掃除機で廊下だけとか、タナの拭き取りとかは、「掃除」ではない。「ホコリとり」である。こちらは毎日やっている。ばんて部員(本人)は、それを普通は掃除と呼ぶ、という。

知人が、晴天が3日ぐらい続いてから掃除をしないと、ふすまや壁紙に湿気が残っていたりするので、やったことにならない、と言っていた。なんとなく、わかる。今回はそのあと天気がくずれるというので、その日しかなかった。

さてその掃除に、なぜこうも時間がかかるのか。
そのとき使う書籍の入れ替えとか、積み直しとかを含むからである。いつかも書いたが、あっここにこんな本がとか見つかることもある。

家事ライフハック系の記事を読むと、居住スペースのゆとりは心のゆとりとか、いう。
そのとおりである。
物が捨てられないのは不安だから、という人もいる。
そのとおりである。

本がありすぎて居住スペースのゆとりはない。
関連する各分野にとりあえず言及している書籍がないと、不安である。ネットで調べればよいのだという向きもあろうが、知は一朝一夕で進化しない(私に限ればだが)。自分が本を読んで考えたその時点にあった書籍、またはその当時の知識から始めて現在につなげることで組み立てることのできる理屈もある、のだ(私に限ればだが)。もとより足りなければ図書館で背表紙を眺めながら歩くが、真夜中までは開いていない。

心のゆとりがなくて不安?つまりは、そのとおりだ。それで上等と思ってはいないが、しかたがない。

で、些細なことが気にかかるというところに戻る。
勉強机の下に、床の傷むのを防ぐために敷いているカーペットが仙台弁でいうところの「たごまる」。
掃除してきっちり引き直しても、大きくないからか、椅子を引いたりしているうちに、だんだんシワができてくる部分がある。
ばんて部員(本人)は「カーペットというか布類の属性だからあきらめろ」という。
厚かったり毛足が長かったりするとましになるという説もある(まとめサイトの相談袋)。

できるだけシワを伸ばしたり重い本を置いたりして、とりあえず今日はこのまま。頂き物のコーヒーを淹れることにする。〔文責・きか〕







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