いろんな人が
服を買わなければならない。が、できれば買いたくない。
そもそも、考えなくてすむなら考えたくない。
というと、驚く服好きな方もおられるだろう。
芸人で小説家の方(どちらを先にするべきか不明)で、服好きで有名な方がおられて、
「服に興味がないと言っている人は、たいていこざっぱりとした恰好をしているので、興味がないというのではないと思う」と言っておられたことがある。
甘い。
きっとその方の周辺に私のような者がいないのだ、と思う。
だがどうも、少数派は自分のほうらしい。
なぜなのか、考えた。
答えは単純。服装となると、「着心地の快不快」が第一義になるからである。
何度か水を通して、少々よれてきたほうが、着心地は、いい(あくまで個人の感想です)。
あ、先日、片平のATMの前で傘がキレイだとほめてくださった見知らぬ方、有難うございます。気に入っているので嬉しいです。
それと、何かしている間は自分を視野に入れたくない。というか入れる余裕がない。
ある会に参加したとき、叔母にもらったペンダントを着けた。その日はときどき(無くしていないか)触っていた。一定の「格」のものが必要な会合と判断したから身に着けたのだが、何か変な緊張感があって、そういう気遣いを自分に関してできるだけしたくない、というか、自分をかまうような余裕がないのである。
世の中そういうものかと思って見ている「ママ〇タ」に、「毎日同じ服を着てスッピンな同僚がいたら、気になる」というコメントがあったのでぎょっとした。そこそこ、いいねがついていた。いろんな人がいるんです、というところで勘弁して頂きたいところである。〔文責・きか〕
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