踊らにゃ損 続
これは2020年の11月14日である。気づいてみると、毎年同じような写真を撮っていた。踊らにゃ損どころか、毎年、率先して踊っていたということである…。この写真は2度目のアップ。
明るい陽射しのなかで撮るとサイズが大きくなり、このブログではアップできなくなる。そういう写真がけっこう、ある。この右側を撮った写真と並べたいのだが、サイズオーバーで残念。
「ばんて部」部員2名の片方である筆者の体調について書いてみる。久しぶりに、HbA1cが完全に基準値を割り込んでいた。通常でも基準値の最低4.6ギリギリであり、4.5の時がそれについで多く、ごくまれに4.7の時もあるが、4.3まで下がったのは久々。若いころの3.6だの3.8だのに比べれば安定したものだと思うが、高くはない。さらに、クレアチニン値を見ると、0.7もないが、これはずっとそのぐらいである。「逆に、そんな低くてだいじょうぶかと思う」ともう一人の「ばんて部員」(家人)に言われる。それでGFR値が70ぐらいというのが納得いかない。もう少し高くなってもいいのではないかと思うが…年齢をかけるんだとすると、そんなものか。
HbA1cが今回低い理由で思い当たるのが、おやつがあまり食べられなくなったこと。おそらくもっともいいのは握り飯で、紫蘇(ゆかりとも。ケミカルな塩分を添加していないものに限る)を混ぜて握ったものが即戦力となるうえに「悪残り(という言葉があるかは知らないが)しない」。李東垣の創方になるあの漢方薬がよいだろうと考えるものの、時と場合によっては、この薬で「(俗な言い方だが)ラリる」ことがあるので、うまく使わないといけない。けっこう自分らのトリセツだけで面倒なのが「ばんて部員」なのである。〔文責・きか〕
踊らにゃ損
東北大学正門入ってすぐ東南のイチョウは、11月の中旬、撮影する方々でいっぱいだった。
いつかも書いたが「あほなおまいにゃなびかぬぞ」というやまだ紫の『性悪猫』の一節を、このころになるといつも思い出す。上は24日、下は23日。
だが、もっともきれいなころ、いつもは目に留めない方々にも注目されるのも当然なのだ。
今年は、11月16~17日あたりに、しぐれる寒い日があって、その時から、黄色に燃え立つ葉の隙間がわかるようになった。もう、イチョウは冬になったのだと思った。下は11月10日、その間に今年のピークがあったことになる。
こうしてみると、「同じあほなら踊らにゃ損」だったと思う。もっともきれいな一枚が、やはりこの間に一枚、あったほうがよい。
私は、成人式も出なかったし、いつか書いたが学位記授与も出なかった(その当時は「文学部、1名、欠席です」でザワつくほど、もらう人がいなかったらしい。あとから聞いた。どうしても非常勤が休めなかった日だったのである)し、結婚式もしなかったので、人生の節目での思い出が少ない。自分に足りないところって、「そういうトコだよね」という気がする。〔文責・きか〕
ナツメの秋
今年、異例の人気(鳥たちに)だった定点付近のナツメが黄葉。いつもはこの時期まだ残っている実も、今年は、ほとんどない。
ここ数年、占星術を少し知っていると、「時代が変わる」「風の時代」というキーワードに何度も出くわしていると思う。
正直なところ、まったく時代の変化に追いつけていない。
もし何回目かのインパクトがあったら、滅びるほうに入るのではないか、と、腹をくくれないまま、気分が落ち込んでいた。
何かの賞を受賞された博士だったと思うが(広中平祐氏だったか?)、
…いいことを教えましょう。(ここにご高名が入る)は、人一倍の努力家です…
と、テレビのインタビューで、最後にニヤリとおっしゃった。今もそのニヤリだけは、チェシャ猫のように、笑いだけが、私の中に残っている。
つまり、天才ではないから、努力すればだれでも可能性はある、とおっしゃりたかったのであろう。
ところがだ。
努力できる才能というものが、存在するのである。
言い換えれば、ある種の才能がなければ、努力はできない。
たいていは飽きる。倦む。
努力とは、そういう種類のものだ。
或いは天才よりも得難いことなのではないかとさえ思える。引退を表明した野球選手の高校時代をご存知のコーチ(監督?)が、「あのぐらいの原石なら今もそこらじゅうにごろごろしている」とおっしゃった。つまり稀有だったのは努力する才能のほうだったのだろう。
昨今、分野によっては、努力の過程を、すっとばして先へ行ける技術ができている。
以前、遺伝子組み換えの作物はすぐに「かえる」、つまり改良部分がもとにもどるが、何代もかけて交配した作物の改良は残ると聞いたことがある。前世紀の話なので、いまもそうかはわからないが。
努力するもしないも勝手だし、プロ並みにできる技術もあるから、使いこなして先へ行けるかが問題として認識されるのかもしれない。
過程をとばしてプロ並みに何かができたとしても、たぶん私はそこで立ちもとおる時間が必要になるだろうと思う。いきなり、できてしまったことに目が慣れるのに、いちいち時間がかかるだろう、と思うのだ。
さて、器用さを欠くこの性格で、どこかの漫画にあった言い方だと「弱者の自分を乗りこなす」だが、もっと実感があるのは「愚者で弱者の自分を乗りこなす」、次の時代を生きねばならない。〔文責・きか〕
9月のハス
写真は9月3日朝、秋田市にて。
誰にでもアキレス腱はある(のではないかと思う。一般化できるか不明であるというのが、学者としての正直なところなのだが、そう書くと文章にキレがなくなる。書いてしまっているが)。
そこにジャストミートするようなことを言われしかも複数名によって畳みかけられたので、ここ2か月余り気持ちがふさいでいた。このハスの花を撮っていたときは、明るい方々に囲まれていたこともあって、それを思い出さなかった。思い出しても振り切れた。(このとき、ご一緒していた皆様、質問に答えてくださった方、ありがとうございます)
今でもそのイヤなことを思い出すが、あっと声を出して立ち上がったりして、まぎらわすことができるようになっている。
以前、何かのテレビ番組で見たのだが、メンタルの傾向を改善するのに、視線を動かすことが有効であることがあるらしい。ただし動きすぎると不安度の高さ?か何かの兆候として、見とがめられそうな気もする。
いい季節である。これから二月の花よりも紅の木々が増えてくる。散歩にゆこう。
今日あたり、名残の紫金山アトラス彗星も見えるといい。〔文責・きか〕