プーシャン家の日常

つぼマニア兼脉オタクと、医学史中心中国学マニアの生活感なさすぎな日々

残暑のばんて部出口部

2024.09.13 09:50:24


9月11日朝8時10分ごろ、仙台市小松島。サギの家族?(小さいのが2羽、大きめのが2羽)とカップル?(大きめ2羽)がいて朝から賑わっていた。夏の間にヒシは除去されたのだが、水中のコカナダモは除去されずに残り、可憐な花(ほんとうに花はそうなのだ)が水面から顔をだしているのも、実は写っている。ただ、この写真は新しく作成したカテゴリ及び今日の内容にほとんど関わりは無い。

プーシャン家にはもともと「トンカチ部」という部活があり、冬に自宅まわりにできたツララを割る、というのがその主旨なのだが、ここのところ暖冬らしく、ひと冬2回ぐらいしか出動しなくなったので、年に2回のみの活動である。このたび「ばんて出口部」という部活を新たに設置したが、こちらは毎日活動している。内容としては「プーシャン家の水無月祓えと、その水無月と」の続編であり、カテゴリを統一した。はじめ呼称を「ばんて部」と考えたが、これは旧称「B」社の現在の社名が言いにくいのを訛って発音したものなので、「出口部」を付加した。腹膜透析をしている方なら、すぐおわかりになるはずだ。

最初は起きていた夜間も、ウィンブルドン(このころはほぼ眠れず)、パリ五輪(半分は見たぐらい)、パラ五輪の中継に助けられて、明るく過ごし、さらには熟睡できる夜も出現するようになった。透析に踏み切ったのがよかったのか悪かったのか、自問を続けてしまう夜もあったのだが、やってしまったものは仕方がない、と思うしかない。

おかげさまで、一時期は担当医師が「ウチの病院ではこの半分ぐらいでぎょっとする数値」とおっしゃっていたBNP値も落ち着いてきた。効果的なお灸はまだ模索中だが、毎日同じようにやってはいても、なんとなくヘコんで見えるところが日々違い、そこにすえる。あとの課題はスキンケアだ。冬までには、ゆっくり入浴できるようになるといいと思っているが、掻痒感がそれで改善するかどうか、それはやってみないとわからない、その程度の先のことが視野にはいるぐらいの余裕は出てきている。

残暑きびしい折、ご心配いただき、ご連絡を頂戴した方々に、御礼申し上げたい。〔文責・きか〕

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プーシャン家の水無月祓えと、その水無月と その6

2024.07.25 10:37:34


仙台に3カ所残るといわれる「UFO型」信号機の一つ。7月22日。これも今月中に老朽化のため撤去という。左下方に、黄色っぽい布をかけられたシン信号機がすでに見えている。プーシャン家の前の電柱も古くなっていて、今春に新型になったのだが、これも撮っておくんだったと残念だ。

助手席でこの写真を撮っているのが私なので、運転者はこのシリーズにおける「患者本人」で、長距離は無理にしても、普段の所用は運転できるし、生活はできている。

「透析」「ブログ」で検索して拝見すると、処方も回数も、千差万別と言っていいぐらいなのに驚く。

あと一週間で退院から一ヵ月。予定外だったこと、とりあえずは想定内だったこと、いろいろだ。

想定外だったこととしてはまず、「排液タンク」。洗うには「中性洗剤」で、と看護師さんに言われたのだが、当初、大して汚れが付いたように見えないので油断して「軽く(ダブルミーニング)流して」いたら、底が何となくざらつくようになってきた。あれだけいろいろなトイレ洗剤が存在するのだから、それなりの掃除は必要だとわかっておくべきだった。いわゆる「大きいほうのびんのくち」から専用(と決めた)ブラシを入れてこすり洗い。持ち手あたりはシャワーヘッドで中から。蛇腹ホースはたぶん気を抜くと内部がカビるだろう。扱いが面倒なのは想定外だった。
次に、昭和の物言いになるが、「大邸宅に住んでいるので」、ギリギリ、カテーテルいっぱい伸ばすと、透析中でもなんとかトイレに行けるらしいことがわかった。一時切断しなくていいのが、有難い。ほかは、患者本人がカテーテルを敷いて寝ていて、警告されることがけっこう多いこと。看護師さんが「慣れてくると、眠ったまま上手にカテーテルを動かして寝返りをうったりしているらしい」と、玄妙なことを言っておられたが、その境地はまだ先らしい。

思ったよりは食事制限がついたままだったが、本人が好きな果物などに多いカリウムは制限解除になったので、それは、うれしい。〔文責・きか〕

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プーシャン家の水無月祓えと、その水無月と その5

2024.07.16 09:11:19

「つなぐ」「かぐや」の入門&トリセツDVDを見ながら、当初、恐怖していたのは、「ウチはどんなに努力しても、そんなにキレイな部屋にならない。そんなところで操作が可能なのか」であった。
理屈でいえば、最重要部は「つなぐ」が消毒するのであるから、普通程度にキレイであれば問題ないように思う。そもそも寝間着を着てフトンをかければそのぶんのホコリは出ているはずだ。
その理屈とDVD画像とのギャップが混乱に拍車をかけた。混乱のまま、何夜かよく眠れなかった。

書籍というのは、書架にならんだ状態だと(桐箱に入れるなどのことをしていない普通の本として)24時間空調稼働でホコリを極力持ち込まないような状態でないと、天の部分にホコリがたまる。その存在を思い出したくないがコナチャタテムシだって居放題だと思う。そこにお灸のヤニが着くと、けっこうしつこい汚れになる。

一つだけ寝室に残した書架については、すべての書籍を段ごとに抜き出し、掃除機で吸い、雑巾で拭いて可能な限りキレイにした。書架の裏側であってもホコリがたまっていた。

旧称「B」社の係の方がおいでになった時にOKが出たのでよしとしたが(手も直前にあちこちベタベタさわらないようにというぐらいだそうだ)、部屋をどうするか決めるまでがつらかったなあと思い返す。今となってはしょうがないと開き直るしかない。

秋からのことを考えれば花は摘むべきとのご意見もあるシクラメン。7月初めからつぼみが見えるようになり、現在も咲いている。つぼみを認識してから、ごく薄く施肥はした。夏に休眠させなくてもいいというご高説もあるようで、よかれと巷間いわれているお世話が全部マイナスにしかならなかった個体は、ちょっと変わり者、かもしれないとも思う。〔文責・きか〕

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プーシャン家の水無月祓えと、その水無月と その2

2024.07.13 18:03:18

(その3と4が先にアップされていますが、こちらが順序としては先です)
記録を見ると、6月4日に入院、私は5日は病院に行かず、6日に髭剃りと着替えを届けている。9日に、CAPDと「つなぐ」の使い方のレクチャーを、患者と家族が一緒に受けたほうがよいとのことで病院にゆき、5日ぶりに、顔を見た。これまでは入院のたびに痩せていたが、今回はそれほどでもなかった。食事も完食できていると聞いており、なんとなく安心。レクチャーを終えたところでバスの便が30分以上なく、撮ったのがシロツメクサの写真というわけだ。

電話で連絡をとりあううち、院内にいる側から、下界に、処置や退院後の生活など、種々の情報がもたらされるようになった。実際は、一つ空き部屋が必要になるレベルらしい、となり、私は、困った。プーシャン家は本に埋もれている。どこの本をどう積み替えても、内容物がこのままであれば、空き部屋などできはしない。治療院開院当時、患者さんが来なくて月末の支払いをどうしようかと眠れなくなった時以来の、眠れない夜をすごした。明け方になって、もっとも書架の少ない寝室をできるだけカラにするのがもっとも合理的であろうと思いついた。そこにある書籍を移動すればよい。売れるものは売り、寄贈できるものは寄贈し、残したいものは一時的にトランクルームを借りよう。トランクルームは、もっともプーシャン家から近い位置(私の徒歩で6分半)のそれに決め、運送屋さんを依頼し、段ボール30箱を発注。これがシロツメクサから2日後までのこと。

その後は術後と帰宅後を見据えて、必要なものを発注したりして過ぎた。一つ、気持ちを明るくする話題があった。循環器内科の医師に「奇跡的」と言われたことがあったという。これまでの薬の処方だと、血栓ができてそれが飛び、落ちたところが悪かったとすると、最悪の事態が起こり得たが、それが起きなかったのが「奇跡的」なのだという。そこで新たな薬が加えられたが、こちら両名は、お灸を含めた「物理療法」のおかげではないかと思った。ただ、それは、証明できない。証明できない以上、言えない。無駄ではなかったのだな、と、ひそかに思うだけだ。

6月14日金曜、手術の日。朝から病院に詰めた。予定より早く病院に到着し、病棟に向かうと、点滴をしながら手術室に向かう患者と、エレベーター前で、偶然、会うことができた。エレベーター前に「ディルーム」という場所があり、飲み物の自動販売機はあり、入退院の手続きなどをするために病院スタッフと患者と家族が話し合ったりしていて、なんだかいつも賑わっている(という感じ)のだが、そこで待機。一時間ほどで手術は終了。説明を聞くのに時間がかかったが、まあ順調なのかもしれない、と、いう印象。上は帰りのバスを待つ間の一枚。その後数日は、検査などで過ぎたもようであること、ほぼ逐一、メールか電話で連絡を受けていた。

ここまでほぼ一気に書いているが、もう少し落ち着いたらもっとちゃんと書けるのだと思う。

15年前に「ネット上にあることは、一般論か自分以外の方の各論かであり、自分のことは書いていない」と、当時は存在していた、とある鍼灸メルマガに書いた。おそらくだが、CAPDとAPDでは、基本原理は同じかもしれないが、迎え撃つ家族の側としては、いろいろと違うところがある。経験者のブログもそれほどは役には立たない。必要なのは機材の正確な大きさと、各自の生活様式と環境のすりあわせだ。毎回機材をセットするか、固定するかも、それぞれの患者の生活のありようによって異なるだろう。プーシャン家は、半固定(掃除のとき動かせるレベルの固定)を選択し、耐荷重100kgの踏み台を複数並べて、「かぐや」をセット。いくらか患者の身体より低いほうが機材の動きがよい、ということだったので、10センチほど低くなる高さのそれをネットで見つけた。低い位置に「かぐや」を置くためには、それまでフトンを敷いて寝ていた方は、低くてもベッドを導入したほうがよいのだとは思う。

そうこうするうち、プチ引っ越しの日が近づいてきて、段ボールを組み立て、30箱あまりの書籍が移動することになった。6月25日、朝9時。このプチ引っ越しに関わってくださった業者の方々がとてもよい方々で、一畳ほどの狭いトランクルームに理想的に32箱とカラーボックス2箱が積みあがった。

段ボールにつきものなのはガムテープ。この色を行き先や用途ごとに変えておくと、ざっくりなところで役に立つ。黄色は下積み禁とか、ピンクは手前とか。はじめ色の異なるシールでも貼ろうかと思っていたが、ガムテープの色を変えてしまえばよくないかと気づいた。底をとめるときも、フタをとめるときも、長めに十字に貼れば、積み込む向きも考えなくてよい。細かい置き場を段ボールに記すのはかまわないが、ざっくり仕分けした後の話であろう。最初から細かく分けると、これまでの経験では、うまくいかないことがあった。

この原稿が、この一件で不義理やご迷惑をかけた方々、お世話になった方々のお目に触れることがあったら、どなたにも深謝申し上げたい。〔文責・きか〕

(まだ続きます)

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プーシャン家の水無月祓えと、その水無月と その4

2024.07.13 18:00:37

新暦水無月(6月)末日、プーシャン家の片方は、退院して帰宅した。今回は「楽病」というほど楽ではなさそうだが(たしか15年前は「闘病」というほどの状態ではないので原稿を「楽病」と称したのだったと思う)、今回も、やはり、患者本人に、深刻そうなようすは見られない。授業には、翌日7月1日から復帰している。声のかすれはあるが、とりあえず、務めては、いるらしい。

最初の一週間は、おっかなびっくり。なにぶんはじめてのため、あらゆることが不安である。最初は、とにかく「かぐや」の警告音にびくびくしながら過ごした。「排液の排出速度が遅くなっている」といわれると、患者本人は、体勢を変えて立ったり座ったり。こちらも寝てはいられず起きてしまう。体勢を変えると排液の流量が変わるというのがよくわからない。途中から、夜中でもテレビをつけるとウィンブルドンをやっていたのが、なんとなく救いだった。

そもそもがヒトのお腹に穴を空けたのである。これがおっかなびっくりでないと逆に怖いかもしれない。たいていふさがるまで2~3ヵ月かかるのだそうで、その間、出口部(というらしい)をぬらさないように入浴が制限される。これが困る。カテーテルをまとめて巻き、ラップで保護してテープで止め、ぬらさないようにさらにラップで巻き、水力を弱めて遠位をシャワー。最初はこれだけでも怖くて、濡れタオルで身体を拭くだけにとどめていた。

一日の時間のうち三分の一をかけて「かぐや」を終了すると朝になっている。機材の会社と病院とに同期されたデータを、一応は写真にとり、もらってきたノートに書き写す。排液が透明であることを確認し、廃棄する。毎日がこれの繰り返しとわかると、少しは落ち着いてくる。

7月4日に機材の不具合が発覚、旧称「B」社のコールセンターに電話すると、翌朝に代わりを持ってきてくれた(そうだ)。この時がいちばん緊張した。

お灸も再開してみた。もし、だが、いくらかでも体調を整える役に立っているのならば、お灸ならば(カマヤミ〇やせん△んきゅうなどならば)誰にでもできる。とりあえず現在はその効果的なやり方を模索している段階、ということにしておきたい。

現在、7月13日。明日で退院から2週間。〔文責・きか〕
(たぶんまた、タイトルを変えて続きます)

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