プーシャン家の日常

つぼマニア兼脉オタクと、医学史中心中国学マニアの生活感なさすぎな日々

ばんて部の長い2か月 その3完

2025.06.24 17:15:06


5月5日の定点付近。部員一人が入院中のため、明るい日差しの中をひとりで出歩いた。ふだんの連休は部員両名の散歩コースである。
そのころの定点付近では、藤も咲いていた。

ばんて部の長い2か月からさらに1か月。体調は一長一短?一進一退?というところ。
処方が変わったのが吉と出るか凶と出るかは、次回の検診でわかる。

さて。
医療ドラマというもの、通底する原理はほとんど一つである。
「庸医」という熟語で表現されそうな医師たちが決まったマーカーの検査数値によって判断するなか、見過ごされるような、しかし患者の体感に近い(または美味しく裏切るような)要素を拾い上げ、庸医の間違いを見つけて解決に導く、というものだ。このことは、検査数値と患者自身の体感が一致することは少ないこと、さらには患者は「通り一遍でなく、自分自身を診てもらっている」という実感が欲しいこと、など、多くのことを示唆するのだろう。

前の病院で、「AIで患者それぞれの体調と薬効などを計算し、もっとも効果があってもっともリスクの少ない処方を患者個々に提示してもらうようなシステムがないか」と主治医に言ってちょっとフンガイされた。「ハルシネーション」の存在は念頭にありつつも、いまでもそれが可能ならば、ばんて部員をどう診るかを、聞いてみたいと思っている。

さかのぼって、4月24日、たぶん今期の最終つぐみ。毎年、そろそろ居なくなるというころ(3日まえぐらい)、つぐみは逃げなくなり、とても近くにいるような日が、ある。今年は一人で見て、写真を撮って入院中の部員に送った。果たして3日後ぐらいに一度見かけたが、そのあとは見ることはなかった。

ほんとうに欲をいえばだが。
入院中はプロ(いろいろおられるが)の手にあった患者は、退院とともに家族という素人に任されることになる。その間をつなぐ存在が必要なのだと思う。鍼灸に、それをのぞむのは、過ぎた願望なのかもしれない。〔文責・きか〕




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ばんて部の長い2か月 その2

2025.06.07 10:21:55


青葉通りにて。5月12日朝7時29分。鳥のフンが魚のように見えた。

ほぼ一年前の24年5月15日午後6時過ぎ、何か巨大な生き物が夕日を目指しているように見えた。
そんなことが時々ある。なんでもないものでも、何かに見える現象はたぶん名前がある。

前日の11日、ばんて部員(本人)が退院してきた。11日午前10時過ぎ、その日の退院許可がおりたのだった。「本人はいたって元気で退院したいといっているが…」と説明を受けたのが数日前だった。

さかのぼって4月30日、外科から腎内科に転科。5月1日から腹膜透析が始まり、経過観察。
この経過が首をひねるものだったので、なかなか退院できなかったのだ。
血液検査と尿検査、及びいわゆる「透視」でも順調だし、腹膜透析もできたので、何も問題はなさそうなものなのだが、腹膜透析で発生する「排液」の色がよくない。医師もいちばん長い看護師も、見たことのない色なのだという。ばんて部員の電話ではよくわからなかったが、「赤い」のだという。手術後の排液が「淡または淡々血性」というのはありがちなのだろうが、それが一週間以上も続いているとなると、退院させるのに躊躇するだろう、と勝手に思っていた。エクストラニールで水分を抜かずにレギュニールで「洗浄」しているぶんにはあるべき透明に戻っていたそうだ。

退院に踏み切ったのは、排液を除けばその他の考慮すべき要素と数値は順調に回復しているからだそうだった。ただし、23日に検診が予定された。

退院の過程をすっ飛ばして排液について書くと、果たして、まあ事前に知らされずに、これを見たら、病院に電話して救急車を呼ぶかもしれない、という色だった。赤ワインに近いかもしれない。1mlの血液が1リットルの排液に入っても真っ赤になるというが、そういう生易しさではない。だが果たして、一週間ほどで、排液の色が薄い日があり、その翌日には透明になっていて、検診には透明な状態でのぞんだ。

ただこの間、胸の奥で音がする、といって、5月17日土曜日に一度、救急外来に行っている。入院できるように準備して来いとのことだった。ただ、検査結果で経過は順調で、入院には至らず。そのとき、腎臓に負担をかけるかもしれないが、造影剤を入れて出血箇所があるかどうかを、23日の検診時に調べようということにはなった。結論からいうと、これでも、犯人(出血箇所)は見つからず。

この造影剤の検査を行った翌日とその次の日、透明に戻っていた排液がまた真っ赤になった。腎臓に負担がかかるというのは、こういうふうに具体化するものかもしれない、と思っている。主治医は否定的だが。健康であれば、これほどのことは起こらないのかもしれない。どこかから出血しているかもしれないが、犯人を捜す手段はもう、無い。その後も法則性はわからないが、数回、オレンジ色の排液があった。わりといちいち写真を撮っている。

6月11日、ふたたびの検診。ちょっと胸に水がたまっている、という。よそ様にご迷惑をかけまくっているであろうセキとタンは、このためだそうだ。だがBMP値は転院前以下になった。とにかく筋力が低下しているので、少しずつ歩けるだけ歩いている。筋肉を使うと、クレアチニン値が上がるのでこれが難点。

そんなこんなしているうち、ここに転居して16年目になった。一度手術待ちでリリースされたのでちょっとだけ今年もサクラが見られた。〔文責・きか〕














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ばんて部の長い2か月 その1

2025.05.27 11:56:21


4月15日16時58分。この時点では、この虹が吉兆なのか凶兆なのか、判断がつかなかった。ただし、その夜、ばんて部員(私)は、タクシーの来ない夜道を、少しでも早く目的地に着きたくて、走った。走りながら、凶兆だったと思った。

3月23日日曜午前、ばんて部員(透析本人)の腹膜透析のカテーテルの位置が異常で排液がうまくいかないまま注液となり、腹圧が上がったことで、カテーテルが跳ね上がり、横隔膜を突き破って穴をあけ、(のちにわかったところでは2か所。確率としては1%しか起こらない)
透析液が胸腔に流れ込んで呼吸困難となり、病院に電話、SPO2は90を下回った。「横隔膜交通症」と診断されてそのまま、入院。
もともと、排液がうまくいかなくなる傾向はあった。カテーテルはいい位置につけているらしいのだが、何せそこには腸がある。注液がうまくできない、と、ばんて部コールセンターに電話した間に注液が再開したのだが、それは横隔膜に穴があいたためだと推測される。
横隔膜の穴をふさぐ手術が企図されたわけだが、外科の予定が立て込んでいるとのことで、入院したまま時間が経過。当初の予定では、カテーテルの位置をもどし、固定する手術も企図されていたが、なぜか再び透視してみたところカテーテルは本来の位置に戻っていたそうで、これもレアだそうだ。

手術の日程は15日火曜に決定し、3日から10日まで一週間帰宅。
11日に再入院。外科に一時転科。
この間は、腹膜で透析するわけにはいかないので頸部より血液透析を2度実施。
15日火曜に手術、染色して内視鏡手術。
虹を見たのはその手術後である。

その夜。
横隔膜の穴をふさいだはいいが、術後、数時間で大量出血が起こり、
入院していた病院からDBDX(ピンインのアタマ4文字)病院へ救急搬送、
内視鏡にて胸腔内の疑わしい血管を「栓」でふさぐ手術を敢行。
その「栓」が可能なのが搬送先の病院であった。
これから救急搬送します、と電話を受け、部員は走った。一本道を東へと走ってくるはずの救急車より、早く着いた。
若い医師に説明を受け、手術。
ただし、「疑わしい」血管を2か所ふさいだのみで、犯人はここだと断定するには至らず、ICUに何日か留め置きになるというのが当初の見込みだった。少しICUで部員同士、話ができた。
翌日、もとの病院にもどされた。DX病院でないとできないことはすべてやったということだそうだ。
しごとのあと、もとの病院に行って所用をすませ、DX病院に返すべきものを返しに行った。
その日は荒天というか、桜にとつぜん降りかかる雪。うまく写ってはいないが地下鉄旭ヶ丘駅にて。15時26分。

しかし、出血はなかなか止まらなかった。これは胸腔内ではなく体表の血管の損傷だろうと推察され、胸帯による圧迫が始められた。ベッドに固定された状態で電話はできていた。あまり状況はよくわからなかったが。
おそらくこれが功を奏し、容態は安定。
20日より輸血をやめ、21日より胸腔内にたまった血を少しずつ抜きはじめる。部員(本人)のたっての希望により、20日は、部員(私)は予定通りの所用で上京している。
その後は、これまで作業のため身体にあけた穴をふさぎ、ドレーンを除去し、再び腹膜透析が可能なのかどうか、見極めの時期に入った。
だが、その後も一筋縄ではいかなかったのだ。〔文責・きか〕
 

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かぐや様は切り上げたい

2024.11.09 20:38:29


表題、「遅らせたい」だと語呂がいいが、そうもいかない。
透析機械で「排液」がけっこう腹腔内に残ったまま注液に転じると、時間通りに切り上げたいのではないか、などと邪推してしまう、というのがその意味だ。

処方が変わって、アタマの中に「貯留」する疑問符。少しずつ「慣れ」てきているが、いわゆる「出口部」が完全に閉じていない感じが最大の問題点である。

タンクのカビは防げている。

透析ブログは何名かの方々を拝読しており、更新されない日が続いておられた方が更新されたりするとほっとする。

写真は11月6日、東北大正門の東南のイチョウ。先月10日ごろからわずかずつ色を変えてきたイチョウも、明らかに黄葉になっている。〔文責・きか〕

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秋のばんて部出口部

2024.10.01 10:02:57


定点付近のナツメの木である。今年は鳥たちに大人気だ。例年は実をつけても、ちょっと離れたところにあるビワの木ほどは人気がなかったのに、今年はカラスが一度に最大4羽止まる大盛況。木の下からはヒトが、樹上からはトリが食べてゆくので、ちょうど取りにくい位置の実が残る。

そして、いつものように、ほとんど上記は以下と関係がない。

部活課題のスキンケアのこと。

腎臓の働きが弱ってくると、皮膚に痒みが出るらしい。汗をかいたところなどが軽く盛り上がって赤くなる。ショルダーバッグをかけて出歩いた後、肩ひもがあたった部分だとミミズバレのようになる。痒いだろうと思う。これが「排出されていない毒素」のする悪さの一つであるらしいが、この「毒素」という言い方、なんとかならないものだろうか。恐怖心をあおるだけな気がするのだが…。

その赤みは、しばらくすると消えてゆく。少し時間がかかる場合もある。腎臓が平常営業している者でも、皮膚が目視で何ともなくとも痒いときがあるが、それが速攻で捨てられてゆくから意識にのぼらないだけであって、原理として同じことは通常でも起こっているのかもしれないとも思う。

その赤みの出る位置は、「ショルダーバッグのひも」のようにわかりやすい場合(外的刺激との因果関係が明確)と、わかりにくい場合があり、そのわかりにくい方は、さらに赤くなる頻度が高い位置と、偶発的?と考えられる位置とがある。鍼灸などを知る人であれば、その部分が恒常的にか臨時にか、めぐりの悪い箇所なのだろう、という理解となるだろう。散鍼あたりがいいのかもしれない。そこにその都度シラクしたらどうだろうと思わなくもないが、また別の問題が発生すると困るので、スキンケアにとどめる。

14.5年間、まとめると1か月ぐらい(入院のため)お灸をしなかった年はあるが、たぶん一年340日ぐらいはお灸をしている。一回タイヤキ的に60壮と計算すると、たぶん何十万壮をすえている。今年、ちょっとした手違いで「弱」でなく「ソフト」を購入してしまい、意外とよいということになり、そのままソフトをメインにすることにした。たぶん、そんなふうに皮膚が弱っているのだろうと思う。外用としては、いまのところ、前回「雨降りの~」で書いた白いユースキンを継続中。〔文責・きか〕

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